五木寛之『孤独のすすめ』孤独を楽しみながら思い出を咀嚼する
筆者は、古代中国では人生を
青春
朱夏
白秋
玄冬
に分けて考えるといい、
「玄冬なのに青春の生き方をしろといってもそれは無理」
と、高齢者なりの生き方をすすめています。
それは80歳余の年齢になった筆者だからこそ言える説得力のある内容です。
老年期の1番の問題は、生きる力が萎えることです。
テレビ番組などではよく、90代でもジョギングや水泳や車の運転を楽しむ人などを取り上げますが、そんなことができるのはごくごく稀な、特殊な人だけです。珍しいからメディアでも取り上げる。我が身と引き比べると落ち込むだけですから、あまり自分と比べないほうがいいのです。
たしかに、テレビで高齢者特集はよくみかけます。テレビで見かけるから、最近の高齢者は“つわもの”が多いと思っておりましたが、実際はごく稀なのですね。
なかでも目からウロコだったのは、
「昔はよかった」と言う人を非難する人がいるが、昔話をするのは、むしろ歳を重ねた人間にとっては元気の源。
後ろを振り返り、ひとり静かに孤独を楽しみながら、思い出を咀嚼したほうがよほどいい。誰にも迷惑をかけないし、お金もかからない。
繰り返し昔の楽しかり日を回想し、それを習慣にする。はたからは何もしていないように見えてもそれは実は非常にアクティブな時間です。
私はどちらかというと後ろを振り向かないですごしてきたタイプです。
ときどき過去のことが頭をよぎりますが、自分のよくないことや失敗談が多く、すぐさま回想をかき消します。
「昔はよかった」と言える人は、よっぽど誇らしい良い人生を歩んできたんだなー、うらやましいなーと思ってしまいます。
しかし、思い出はいくらでも変えられます。失敗を思い起こしてイヤな気持ちになるのではなく、良かったときの思い出を掘り起こして、過ごすのはとても良い時間だと思い直しました。
数年前から「断捨離」が流行していますが、無理に物を捨てることはないと常々思っていました。ゴミをためこむのはよくないと思いますが、迷惑をかけない程度に持っておいて、思い出を咀嚼する時期がきたら、取り出して思い出にひたるという余生もアリかもと思い直しました。
また筆者は高齢者の自立も促します。
すなわち
経済的に自立
健康体であること
精神の自立
ごもっともです。
そして筆者自身
「最も知りたいのは自分の余命」
という思いと
「長生きをして、これから世の中がどう変わっていくのか見ていたい」
というふたつ願いがあるといいます。
戦争体験者である筆者は想像もつかない大変動を見てきているでしょうが、
「世の中、意外に大して変わってないな」
と感じるそうです。
「この先、十年後、二十年後、この地球上に経験したこともないような、根本的な変化が起こるかもしれない」
戦中・戦後の出来事を上回るインパクトを持っている大事件など、そうそう起こるはずがないと分かっていながら
「世界の大変動を見るまで、死ぬわけにはいかない」
という欲求を抑えられない
とのこと。
人によっては「長生きしたい」理由はそれぞれかと思いますが、だからこそ、老後をどう生きるかが大事です。
人間は孤独だからこそ豊かに生きられる。
孤独な生活の友になるのが、例えば本です。
本は際限なく存在しますから、孤独な生活の中で、これほど心強い友はありません。
本の存在はとても有り難いですね!