瀬戸内寂聴『命あれば』〈感想〉川端康成・黒柳徹子さんとの秘話

京都新聞に掲載された1998年から2016年までのエッセイをまとめた本です。

本のタイトルどおり「命あれば」こそ、いろんなことを成し遂げられる、いろんな場面に遭遇し、いろんな人に出会えるという「命あればこそだな~」と思いを深くする本でした。

長生きすることは多くの人のあこがれ?希望?
いえ、死ぬのが怖いからなるべく長く生きたい?

寂聴さんくらいまで長生きし、いろんな体験をしている人の話はとにかく興味深く感じます。

本書には、宇野千代、水上勉、渡辺淳一、筑紫哲也、水木しげる、岡本太郎、敏子さんなど今は亡き方々とのエピソードが書かれていますが、ついこの間までテレビで拝見していただけに感慨深い思いです。

特に印象に残った3つのエッセイを御紹介します。

 

小説家・川端康成と三島由紀夫

日本人小説家として初めてノーベル賞をとったのが川端康成。
ノーベル賞の発表があった日、作家・円地文子さんに、
「こういう時は、すぐにお祝いに駆けつけるのが礼儀です」
といわれ、急いで鎌倉の川端邸へ駆けつけたら一番乗りだった。

川端康成はそれまで見た中で一番晴れやかな表情をして、ま新しい和服を召され座っていた。

寂聴さんと円地さんがお祝いを述べていたとき、入口の報道陣の空気がさっと殺気走った。

すると三島由紀夫が紺のスーツを礼服らしく身につけ大股で座敷に入り、
「お祝いです」
と洋酒の包みを差し出し声を一段を張り上げるようにして、
「この度はノーベル賞の御受賞まことにおめでとうございます」
と朗々と言った。

川端康成は誰の祝辞の時よりもにこやかな顔になり
「ありがとう」
と言われた。

それから何年かたち、三島由紀夫が割腹自殺し、川端康成はガス自殺をとげられた。

更に何年か後、三島由紀夫の弟から
「兄がノーベル賞をもらっていたら、兄も川端さんも死んではいなかったと思います」
と言われたことがショックで忘れられない。

という。

ノーベル賞をもらったことで苦悩が始まったとされる川端康成。自分がとりたかったであろう三島由紀夫。衝撃的なエピソードです。

 

人気妖怪

黒柳徹子さんが人気絶頂で掛け持ちでいくつもの人気番組のレギュラーとしてこなしていた頃に、ニューヨークへ勉強しに行ったことがあった。

徹子さんのレギュラー番組の中でも、食べ物屋の女将の役があった。当然別の日とに役は変わったのだが、どうなっているのか気になっていたところ、何の差し障りもなくドラマが進んでいたという。

黒柳徹子さんいわく、
「ちょっと忙しかったり人気が出ると自分中心に世界が廻っているように錯覚しがちだけど、そんなことないのよねぇ。自分がいなくなったって、替わりはいくらでもひかえているのよ。あれで私人生観変わっちゃった」
と面白おかしく話してくれた。

世の中で一番はかないのは人気というものなのかもしれない。人気は妖怪である。

という話。多くの人が経験した共感するエピソードではないでしょうか。

 

寂聴さんが若き頃、職場で泣いた話

夫と三歳の女の子を残し、家出をし、京都に住む親友の下宿に転がり込み居候を始めた。下着から服まで親友に借り、親友が探してくれた出版社に勤めることになった。

初めての仕事は“トマス・アクィナス”の翻訳者・哲学者の家に通い、口述筆記で先生の原稿を頂くこと。勇んで通い始めたものの、一週間もたたないうちに先生からクビにされてしまった。

理由は10分もすると眠ってしまうからだという。身体が悪いのではないかと心配され健康診断を受けたところ「栄養失調」だと診断された。
当時は学生食堂の闇食券で一日一食の生活だったからそのせいだろうか。

翻訳者先生の原稿を編集部全員で本にする作業にかかった。
寂聴さんの校正があまりにずさんだということで編集長が怒り、
「今月の給料は出ないよ」
と言った。
私はその場で泣き出してしまった。
社長が慌てて「給料は出すよ」と寛大に言った。

一文無しで親友に世話になっている身分で経験不足だけどそれなりに頑張って働いたのに「給料が出ない」なんて言われて、とても悲しくなってしまったのでしょう。泣き出したくなる気持ちはとてもわかりますが、実際泣いてしまうなんて純粋でなんともかわいらしいエピソードです。