映画『リメンバー・ミー』感想☆映像がとってもキレイ!歌もいい☆
日本人には馴染みのないメキシコの「死者の日」を巡るお話です。
馴染みがないといっても、日本でいったら「お盆」にあたるような行事です。
年に1回、「死者の日」に祭壇を作って、写真を飾ってあげると、死者の国にいる亡くなった人が遺族の元に戻ってくることが出来る。
けれども写真を飾ってあげないと戻ってこられない。
遺族が亡くなった人を覚えている間は死者の国で暮らしていられるけれど、忘れてしまったら2度目の死を迎え、死者の国からも消えてしまう。
という設定です。
日本のお盆も諸説あるように、この設定もメキシコで諸説あるうちのひとつのお話かもしれませんし、映画製作者側が作ったお話かもしれません。
目次
現代風アレンジ
現代風にアレンジしているところは、死者が生者の国に戻るときに、出口のところでITで顔認証しているところ。
写真が飾っていない死者は顔認証で認められず、許可がおりません。
写真を飾っている死者は顔認証で認められ、係の人に「いってらっしゃい。楽しんできてね」などと送り出してもらえます。
顔認証で認められなかった者が出口を強行突破したとしても、マリーゴールドのオレンジの花びらで埋め尽くされた橋を渡ることができません。ズブズブと花びらが深くなって足がとられてしまい、沈んでしまいます。そしてスゴスゴと死者の国に戻るしかなくなるのです。
生者の国で覚えている人がいなくなると死者の国で暮らしている亡くなった人は全身が光り出し、消えかかります。そのことで2度目の死が近づいていることを知ります。
だから「ちゃんと写真を飾ってあげて供養をしてあげましょう」
ということになるんだと思います。
よく出来たストーリーです。
違和感
違和感でしたが、おもしろかったのは、死者の国の人はガイコツ姿で生活しているということ。
そういった価値観がメキシコにはあるのでしょうね。
死者の国に“亡くなっていない人”が紛れ込むと見た目ですぐにわかります。
本作の主人公・ミゲルは、死者の国を訪れたときに、ガイコツに見えるようなメイクをしてもらいます。
あらすじ(途中まで)
主人公の男の子=ミゲルは、メキシコの靴職人の家に生まれました。
代々靴職人になっている家系なので、当然ミゲルも靴職人になるように言われ育ち、まだ少年のミゲルは街で靴磨きの仕事をしています。
ミゲルは音楽が大好きな少年です。
ところがミゲルの家では音楽は一切禁止なのです。
なんでもミゲルのひいひいばあちゃんの“ママ・イメルダ”のだんなさんが音楽家で家を出て行ったきり戻ってこなくなり、大変な苦労をしたからだというのです。
ある日、街で音楽コンテストがあることを知ったミゲルは、ひそかに練習していた自分のギター演奏を聴いてもらえるチャンスだと思い立ちます。しかしそれをおばあちゃんに見つかってしまい、ギターも壊されてしまいます。
おばあちゃんは家族の中でもとびきり音楽に大反対で、いつも神経を尖らせてミゲルが音楽に近づかないように目を見張っているのでした。
しかしあきらめきれないミゲルはコンテストに参加しにいきます。
すると自分の楽器がない人は参加できないと言われてしまいます。
あちこちでギターを貸してくれないか、聞き回りますが、貸してくれる人はいません。
そんなときに街の音楽スターだったエルネスト・デラクルスの記念館に彼のギターが飾ってあったことを思いつきます。
「少し借りるだけだから、終わったらすぐ返すから」
と自分に言い訳をして記念館の窓を壊して忍び込み、ギターを手にしたのでした。
そしてジャカジャーンとその場で鳴らしてみたミゲルに不思議な現象がおきます。
カラダが透明人間のようになあり、誰からも気づかれなくなってしまったのです。
ミゲルが元通りになる方法は、
死者の国の家族に許可をもらうこと
だと知り、死者の国で出会ったひいひいばあちゃんに頼みます。
しかしひいひいばあちゃんの許可は
「音楽をやらないこと」
の条件つきでした。
そんな許可ならいらない!
と反発したミゲルはひいひいばあちゃんの許可を断ります。
一方、死者の国でミゲルが出会った大人の男性(ヘクター)は、生者の国で自分の写真を飾ってもらえないことが続き、遺族の元へ帰ることが出来ずに悩んでいました。
ヘクターはミゲルに生者の国に戻ったら自分の写真を祭壇に飾ってほしいと頼みます。そのためにミゲルを手伝おうとします。
ミゲルは夜が明けるまでに戻らないと、もう戻れなくなるといわれ、時が経つにつれて手の指の先が透明になっていきます。
またヘクターも2度目の死を間近にカラダが光り始めます。
どうすれば二人の願いが叶うのか、見どころです。
相関図
主な声優
ミゲル:石橋陽彩
ヘクター:藤木直人
ママ・イメルダ:松雪泰子