朝ドラ「おちょやん」波乱万丈で目が離せないおもしろさ!
「おちょやん」というなんともかわいらしいタイトルは、茶屋や料亭などで働く「小さい女中」を呼ぶ「おちょぼ」を大阪風に言った言葉だそうです。
また主人公の竹井千代の「ちよ」とも掛けていますね。
とても親しみのわくタイトル名です。
そして個人的にはオープニングで映し出されるかわいい絵が大好きです!
めまぐるしく変わる絵を見逃すまいと目を凝らしてオープニングを見たのは初めてです。
なんといっても主役の杉咲花さんの表情豊かな表現力が魅力的です!
ストーリーもおもしろく、引きつけられるドラマですね。
目次
杉咲花さん
杉咲花さんは子役のイメージが強いですが、もう23歳なのですね。
お父様が元レベッカのギターリストとはびっくり!でした。
映画「湯を沸かすほどの熱い愛」ではブルーリボン賞など数多くの賞を受賞。日本アカデミー賞の最優秀助演女優賞も受賞しています。
朝ドラも期待通りの好演で、毎日見るのが楽しみです♪
浪花千栄子さん
朝ドラ「おちょやん」のモデルの
女優・浪花千栄子さんは1907年(明治40年)大阪府生まれ。
1973年にお亡くなりになっています。
本名は
南口キクノ。
この本名のおかげで、のちに軟膏薬のCMに抜擢されました。
CMとは?!
南口キクノ
なんこうきくの=
(この)軟膏の薬は(よく)効く
といったところでしょうか。
軟膏というのは、クリーム状の薬のことです。クリームと違うのは薬効成分が入っているところです。
浪花千栄子さんが起用された軟膏とは
大塚製薬のオロナイン
です。
昔、街角でよく見かけていた看板にも登場していたそうです。
私はボンカレーの看板なら思い出せますが・・・。
幼少時代
ドラマが始まって強烈な印象だったのが、幼少時代の貧困生活。
浪花千栄子さんの育った家は、にわとりの行商を生業としていましたが
“なぜ自分の家だけが特別どこよりも貧乏であったのか、子ども心にも不思議でたまらなかった”
といいます。
5歳のときに母を亡くしてからは、見よう見まねでニワトリのえさを作ったり、弟の面倒を見たり、家のことをしたりしてきました。
“小学校へ行く友だちの姿をたいへんうらやましくながめ、行けない自分を悲しくも思いましたが、私はよその子とはちがうのだというあきらめの気持ちもありました”
父のしつけは厳しく、なべやおかまの洗い方には特に神経質で、底に鍋ずみが残っていただけで手ひどく殴り、ご飯粒を1粒でも粗末にすると半殺しの目にあわされるのでした。
新しい母親が来たときには、正味2ヶ月足らずではありましたが小学校へ通えました。
大喜びで通い出した小学校でしたが、1年遅れでしたので、そのおくれを取り戻すことはとうてい不可能なことでした。はずんだ胸も苦しみのためにペシャンコとなり、学校へ行くことが死ぬよりつらいことに思えてきました。
9歳で奉公に
9歳になると道頓堀の仕出し弁当屋に奉公に出されます。
小学校6年をおえてから奉公に出されるのは貧しい田舎ではよくあったことだそうですが、9歳で出されるというのは滅多になかったそうです。
「なんとしても字を覚えたい」
「なんとかしてものを読むことができるようになりたい。ひととおりの字を書くことができるようになりたい」
という強い願望のもと、おりにふれときにふれ、少しの暇も文字に親しむように心がけたそうです。
そのころ、油揚げや焼き芋などをくるんでいた古新聞の袋のシワをのばしてふところにひそめ、トイレにはいったときに上下のかなやふりがなを頼りに、漢字を一字ずつ覚えていくという方法で勉強。
「おちよやんの便所はえらい長いやないか、昼寝でもしているのと違うか」
とよくイヤミを言われたそうです。
完全にひとつの熟語を頭に入れなければトイレを出ない念願を貫いたそうです。
“トイレの中で勉強することだけが、ほんのわずか、1日の中で自分を取り戻し自分もひとりの人間なのだということを自覚する、とうとい時間だった“
といいます。
道頓堀のおえはん
ドラマでは篠原涼子さんが演じている奉公先の女主人・おえはん(お家はん)ですが、奉公人にはたいそう厳しい人だったそうです。
はしのあげおろしまで目を光らせ、情け容赦ないしごきを受けました。
おかまを洗ったときなどに流れてしまった、水の流れ口の金網のたまった米粒をほかの洗いカスの中からご飯粒だけよりわけて食べさせられ、口へ持っていってノドの奥を通り過ぎるまでじっと見つめているのだそうです。
忘れることの出来ない屈辱感。
わずか10歳にして15キロ近くのご飯を炊きあげたり、千人分のお弁当箱を洗ってふいたりと、誰が来ても長続きしないことで定評のある仕出し料理屋で8年間、続けて働きあげました。下働きで2年と満足に続いた人は皆無で、早い人はひとつきいるか居ないかでその仕事のつらさに音を上げてやめてしまうほどの厳しさ。
ここの主人は
“奉公人というものは自分たちより下層の者だという、階級意識が強く、犬ころでも扱うような調子で接し、下の者には「厳格なしつけ」という伝家の宝刀をふるって、すべてに思いやりのない人たちでした”
と言いますからよっぽどの人だったのでしょう。
しかし、そんな中でも心の支えになったのは
・大好きな名優たちのお芝居が毎日ただで見られるということ
・せめて小学6年生レベルの読み書きが早くできるようになりたい
この2点だったそうです。
一人前に読み書きが出来なかったら何言うたかてあかん
という気持ちが大きく支配していたといいます。
17歳のときに
この仕出し料理屋に8年ぶりに父親がひょっこり現われます。このことによって、いやおうもなしにやめることになってしまいます。
父親は
「8年も奉公しているのだから少しは貯金もあるだろう」
と、娘の給金を目当てに現われたのでした。
しかしさかさに振っても一銭の金もないことがわかると、主人に強談判をもちかけます。
しかしここの主人も
「“食わして着せてくれるだけでいい。一人前の仲居にさせてくれればいい”という約束で引き受けたのだし年季も明けていないのだから金なんかびた一文出せない」
といいはります。
父親は
「年端もいかない子どもを8年間もさんざんこき使っておきながら、びた一文出せぬとはなんたるひどいことだ」
と言い返し、双方自分勝手ないい分を応酬し、結局主人側から15円(当時の大学出の初任給が50~60円)の退職金を引き出すことに成功し、父親は得意満面。
次の奉公先は造り酒屋。しかし父が毎月前借りにくるのに愛想をつかしてクビ。
その次は大きな材木屋。ここも父が2年の前金を既に受け取っていた。
2年の年季を勤め上げる直前、奥さんから
「あんたがほんまにようやってくれはるさかい、うち中、みんなあんたを手放しとうない言うてるんや。しかし年季が明けるのを狙ってあんたのおとうさんがくるだろう。賞与として1ヶ月分だけ包んであるが、これをあんたにあげる。ほんの私の志や。ないけど気持ちだけ取っといてちょうだい」
と言われ、奥さんのあたたかいおとりなしにただ涙がこぼれるばかり。
私はもう父の言いなりになってはいられない。
今夜のうちにこの家を出て父の目の届かぬ新しい自分の道を自分で見つけよう!
そう決意して、一ちょうらの着物2、3枚、ゆかた2枚と手回りのものをふろしきに包み、奥様にはエンピツで
「御恩にそむくようだが、だまってお暇をいただかしてもらう。許してほしい」
といったことを書き残して、裏口から夜明けの街道へ足音をしのばせ、知り合いになるべく見つからぬように注意してとにかく一番電車に乗ったといいます。
ドラマではこの材木屋と道頓堀のお茶屋さんと合わせたような設定になっていますね。
厳しいと思っていたドラマのお家はんは最後は人情味あふれる優しいところを見せます。
京都の口入れ屋で
父親に見つからないようにこっそり出て向かった先は京都でした。
京都の「口入れ屋(職業斡旋)」で紹介されたのが
カフェー・オリエンタル
です。
そこの住み込みの女給・ユリちゃんの推薦で、京都嵯峨野のプロダクションの新人募集に応募したのが芸能界への第一歩。
しかしこのプロダクションはすぐに解散してしまいます。
次に監督さんの紹介で当時人気だった村田栄子一座の一員となります。
村田栄子とは
芸術座・松井須磨子一座の出身で、当時名女優と言われている人でした。
「舞扇」という十八番の劇で、祇園の舞妓さんに扮装して登場すると、満場、いっせいにほぉーという観客の歓声が上がるほどでした。
しかし村田栄子さんはたいそうヒステリックで何か気に入らないことがあると、物を投げつけたり、けとばしたりする人でした。
この一座で役をもらって演じていましたが、あるとき劇場主に呼ばれて
「人気が下降線の村田栄子一座にいるより、映画へいったほうがいい。推薦してあげるから映画へ入りなさい」
と熱心にすすめられて東亜キネマに入社します。
東亜キネマで
芸名は香住千栄子
新スターという冠もつきます。
しかし“かすみ”という響きがピンとこず愛情を感じない芸名でした。
文字通り、かすみのように消えてしまいます。
月給35円。
1ヶ月6円の六畳の部屋を借り、1品ずつ家具や着物を自分で選んで買っていったときには涙がこぼれてしかたがありません。
毎日がたのしくてしかたがありません。
「こんな生活が私におとずれようとは考えられないことでした」と。
しかし経営上の行き詰まりから人員整理する会社に対して不信感がわき、辞表を提出し退職します。
浪花千栄子誕生
市川百々之助プロダクションの移籍したときに
浪花千栄子
と改名します。
心機一転して励みますが、最初に提示された給料の額と実際の額の差に納得がいかず、そこもやめます。
新潮座へ
新潮座は当時一流の俳優を集めて大正15年に旗揚げされた、剣劇を中心とした劇団でした。
松竹新喜劇へ
2代目渋谷天外らが旗揚げした松竹家庭劇に加わったのち、松竹新喜劇の看板女優となります。
渋谷天外と結婚しますが、天外が不倫し子が出来たことをきっかけに離婚します。
ラジオへ
NHKラジオの「アチャコ青春手帖」の出演し人気を博します。
その後テレビドラマ「太閤記」「細うで繁盛記」にも出演。
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こうやってみると本当に波乱万丈ですね。
波乱万丈の一生は、ドラマにはうってつけですね!
最後まで目が離せないエピソード満載でおもしろいドラマになることを期待しています♪
◇お薦めの本◇
浪花千栄子著
「水のように」