三浦徳子~「松田聖子の誕生」若松宗雄 著作〈感想〉
元々好きな楽曲でしたが、今年の夏頃からことあるごとに頭の中に浮かんでは消えを繰り返していた工藤静香さんの「嵐の素顔」。
そんな中、フジテレビのミュージックフェアの冒頭で工藤静香さんとJUJUさんが「嵐の素顔」を歌うという、私にとってタイムリーな出来事がありました。
「やっぱりいい曲だな~」とメロディの良さはもちろん、歌詞もいい。曲は後藤次利さん。「だよね~」。歌詞は三浦徳子さん。「この人クレジットでよく見かけるけど、ほかに何作詞してたっけ?」と検索してみたら
2023年11月6日没
と。
えっ、つい最近亡くなったばかり・・・。
ミュージックフェアの放送は11月11日です。収録はもっと前だったでしょうし、偲ぶ言葉がなかったことから、工藤静香さんたちが歌ったときは、きっと知らなかったのでは思われますが、どうでしょう?
しかし、すごく驚きましたね。
虫の知らせといいましょうか。
目次
作詞家・三浦徳子
代表曲は
吉川晃司「モニカ」
郷ひろみ「お嫁サンバ」
沢田研二「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」
杏里「CAT’S EYE」
八神純子「みずいろの雨」
工藤静香「嵐の素顔」
松田聖子「裸足の季節」「青い珊瑚礁」「風は秋色」「夏の扉」など
多数。
昭和を代表する作詞家です。
松田聖子といえば、松本隆
というイメージで止まっていた私の知識ですが、そういえばデビュー当時の作詞は三浦徳子さんだった!
と、だんだん思い出してきました。
ネットの三浦徳子さんの記事と一緒に目についたのが
若松宗雄 著作
「松田聖子の誕生」
の本の宣伝。
三浦徳子さんのことが書かれているのかもしれないと思い読んでみることにしました。
「松田聖子の誕生」
この本は「松田聖子」がいかにして作られたか、当時のプロデューサー本人がその目線から段階を追って細かに綴っています。
例えば、「松田聖子」のデビューが当時のアイドルとしては遅かったこと、父親の反対があったことなどは私でもぼんやり知っていましたが、この本を読んだことによって、その輪郭がハッキリと見えた思いがしました。
父親の反対を乗り越えたと思ったら、プロダクションが決まらないという壁。
原石発掘
芸能界では特に言われていることと思いますが、未来のスターの原石を見つけるのは至難の技だということが改めてわかりました。
「松田聖子」に関して言えば、有名大手芸能プロダクションでさえも「売れない」「地味だ」などと判断され、ほとんど見向きもされなかった。
そんな中、半ば強引にサンミュージックにお願いした。
平尾昌晃先生だけが「松田聖子」の才能を見抜いてくれた。そのわずかな光を励みとして頑張れたと。
それが誰も想像もつかなかったほどに化けるのだから、“原石発掘”がいかに難しく博打であるか。
私も以前、歌手の長渕剛さんもデビュー前、誰からも認められず、ひどいことを言われて散々な目に合ったと何かで読んだことがあり「そんなものかね~」と驚いたことを思い出しました。
曲作り
「裸足の季節」
「青い珊瑚礁」
「風は秋色」
驚いたのはこれら「松田聖子」初期のシングルの曲名は若松さんが直感で作り出したとのこと。
どれも秀逸ですよね!
「風は秋色」という曲名があるから後の松本隆作詞「赤いスイートピー」の出だし
春色の汽車に乗って~
という詞が違和感なく「松田聖子」っぽいイメージにつながっているのかもしれません。
小田裕一郎さんもデビュー前の「松田聖子」の才能を見抜いた数少ないひとりだそうです。そして「松田聖子」にピッタリなイメージのデビュー曲「裸足の季節」を提供しました。
小田裕一郎さんの当時の代表曲はサーカスの「アメリカン・フィーリング」。爽快なメロディ、リゾート感あふれる旋律。
最初は昭和のヒットメーカー筒美京平さんに曲をお願いしたが、「多忙につき当分順番待ち」と断られてしまった。
しかし、かえってそれが功を奏した。
当時の筒美京平ワールドの曲調ではなく小田裕一郎さんで新しい風を歌謡界に吹き込むことができたと。
そして小田さんの縁でアレンジャーには信田かずおさん。
三浦徳子さんは他の新人歌手のプロジェクトを断って「松田聖子」一本で引き受けたそうです。
「青い珊瑚礁」
次のシングル。冒頭の
あーーーわたし~の恋はー
のフレーズはミーティング中に小田さんが一瞬で作り上げた。
作詞は三浦徳子さん。
アレンジは更なる冒険を求めて大村雅朗さんに。山口百恵さんのシングル「謝肉祭」の斬新でダイナミックなアレンジから直感で任せてみたいと思われたという。
初期の「松田聖子」の楽曲は提供者にも注目が集まっていたのを思い出しました。
「今度は誰が担当?!」
というふうに。
以下、一覧です。
どういう経緯でアーティストに依頼して、大ヒットにつながっていったのかとても興味深く読みました。
デビューCMタイアップ
「裸足の季節」が資生堂のCMとのタイアップが決まり、本人も映像出演するはずだった。しかし直前になって「松田聖子」にエクボがないことがわかり本人出演は流れたという。
商品名が「エクボ」なのだから仕方がないといったところでしょうか。
歌だけ流れたCMでしたけど逆に「歌っているのは誰?」と問い合わせが殺到したそうです。
曲が良い、歌がうまいということは、とても印象に残ります。
現在もいくつかありますね。
積水ハウスの小林亜星さん作曲のCM。
誰が歌っても歌を聞きたくてCMを飛ばしません。
うまい人ばかりが器用されていますが。
かなり前で言えばグリコチョコのCMの松山千春「季節の中で」。本人出演はなく顔がわからずとも衝撃的でした。
話は戻りますが、「松田聖子」の「裸足の季節」のCMソングもとても素敵に印象に残りました。
この裏には様々な思いがあったことがわかって感慨深くなりました。
合議制にしない
「松田聖子」の 楽曲制作をしていくうえでなによりも気をつけていたことは、合議制にしないということ。
複数の船頭がいるプロジェクトは成功しない。
多くの人の意見が入れば入るほど魅力はなくなっていく。
歌づくりに八方美人はいらない。
一人の人が軸となって独断できめていくからこそ強い色が作品にでる と若松さん。
これはドラマや映画の脚本に置き換えてもわかります。
ここからは私の考えですが
面白いドラマを書いていた脚本家が大河ドラマに抜擢される。期待されるが、なぜだかつまらなくなる。
毎週視聴率の結果を見て上層部があれやこれやとドラマの筋書きなどに口を出し船頭が複数いるため方向性がわからなくなる。結果面白くないし視聴率はあがらない。脚本家もやる気をなくす。するとまたあれやこれやと口出しされる。悪循環を繰り返す。と聞いたことがあります。
大御所には口出ししないでしょうから自由に書いた結果、◯◯節の面白い作品が出来る。
くせがあるから誰の脚本かわかる。
「松田聖子」ブーム
なんといっても髪型が全国的に大ブームになりました。しかも何年も続きました。
私もパーマをかけられる年齢になったとき聖子ちゃんカットになるべく雑誌の切り抜きを持って地元でも腕が立つと評判の美容室へ行きましたもの。
切り抜きを見せるのが一番伝わるとされていました。しかし結果はまるで似ても似つかぬ髪型になり「私にはむかないんだな」とあきらめましたが。
カリスマ歌姫
時代と共に存在します。
現在はカリスマというほどの歌手は見当たりませんが。
浜崎あゆみ
安室奈美恵
も、そうでしょうけど一部の人たちというイメージです。
子供から大人まで巻き込んで、好き嫌いを越えて、全国民に影響を与えた歌手は、やはり
「松田聖子」ではないでしょうか。
「松田聖子」は本人の才能と運と、そしてまわりのスタッフの努力で作られたんだ。
著者は、この事を一番言いたかったのではないでしょうか。
いいえ
若松さんがあきらめていたら「松田聖子」は誕生していなかった。
このことこそが、最も言いたかったことでしょう。