橋田壽賀子著『安楽死で死なせて下さい』〈眠るように死にたい〉

この本の発売日は
2017年8月18日。

92歳のときに出版された本です。
衝撃的なタイトルです。

「まだ死にたくない」
「もっと長生きしたい」
と思うのが普通です。

しかし橋田壽賀子さんは、

もしも
「安楽死させてあげる」
って言われたら
「ありがとうございます」
と答えていますぐ死にます。

生きていたって
もう人の役に立ちませんもの。

思い残すことが何もないことには
とても幸せを感じています。

だからいつ死んでもいいな
と思っているのです。

と言います。

もう満足だから死んでもいい
と発言できるのは
とても幸せなことだと思います。

死に方とその時期の選択くらい
自分でできないかなと思うのです

すごくわかりますが
”死ぬこと”と”生まれること”は
自分の思うようにならないものです。

自分の寿命が
どのくらいなのかわからないし
苦しまないで死ねるのかも
わかりません。

橋田壽賀子さんは
自分が認知症や植物人間状態になり
意識がなくなってしまって
人に迷惑をかけてしまうことを
避けたいと常々言っています。

 

安楽死と尊厳死は違う

いわゆる安楽死とは
あえて致死薬を処方してもらい
積極的に死期を早める
「積極的な安楽死」。

それに対して尊厳死とは
延命治療を拒否することで死期を早め
無駄な延命を行なわない
「消極的な安楽死」。

安楽死が合法な国は
世界に数カ国ありますが
スイスには約70万円払えば
外国人でも死なせてもらえる
団体があります。

テレビで見たことがあります。

 

 

日本尊厳死協会

日本には日本尊厳死協会なるものが存在し
小泉純一郎氏や蛭子能収氏が
入会しているとか。

80%が65歳以上
11万人以上の会員数。年会費2000円。

その内容は
「私の傷病が現代の医学では
不治の状態であり既に死が迫っている
と診断された場合には
ただ単に死期を引き延ばすためだけの
延命措置はお断りいたします。

ただしこの場合
私の苦痛を和らげるためには
麻薬などの適切な使用により
十分な緩和医療を行ってください。

私が回復不能な
遷延性意識障害(持続的植物状態)
に陥った時は
生命維持措置を取りやめてください」
とのことです。

 

 

死について考える習慣をもつ

ある程度の年齢になったら
死について考える習慣を
持っておくほうがいい。

若い頃から
考えられればそのほうがいいし
「あ、そろそろヤバいな」
と思ったときに考え初めてもいい。

「何かあったとき
無駄な延命治療を望まない」
とか。

年ごとに考え方が変わったって
かまいません。

死について考えること
が普通の文化になればいいな
と思います。

死について口にするのが
はばかられる世の中です。

「遺言」なんて言い出すと
「縁起でも無い」と毛嫌いする人もいます。

口にすると
死期を呼び込んでしまうかもしれない
とでも思っているのでしょうか。

 

 

終活を始めたのは89歳

90歳で引退しようと決めていた。

遺言は
80歳になったときに書きました。

捨てたのは段ボール10箱以上。
終わるまで2年かかった。

断捨離は体力があるうちに
やっておいたほうがいい。
とお薦めしておきます。

スケールが大きいですね~。

気持ちが若いのでしょうか。
長生きだから出来る発想でしょうか。

多くの人は60歳とか70歳くらいで
引退を考えるのではないでしょうか。
それが90歳とは!

89歳からの荷物整理は
さぞかし大変だったでしょうね。

 

 

葬式はしない。偲ぶ会もしない

私は死んだときに
葬式をしてほしくありません。
若い頃からそう思っていました。

打算や利害や思惑で
たくさんの人が集まるだけの
お葬式も見てきました。

意味の無い社交の場に
使われたくないんです。

死んでも絶対に公表しないで
と頼んであります。

あの人、最近見ないわね。
あ、亡くなってたの
というのが理想です。

すごくわかりますが
橋田壽賀子さんの場合難しいでしょうね。

最近ネット速報で
誰々が亡くなったというニュースが
飛び込んでくる回数が
多くなったような気がしませんか~?

そんなに有名人じゃなくても
訃報を目にします。

じゃ、どこからが有名人で
そうじゃないかと判断するのも難しいですが
ちょっと多すぎやしないか
と思うのは私だけでしょうか。

なにか競争でもしているんでしょうか
ネット情報の世界では?

原節子さんの場合

大女優だった原節子さんが
2015年に95歳で亡くなりました。

50年以上まったく公にお姿を見せず
訃報が伝えられたのに
亡くなって
2ヶ月半も経ってからでした。

びっくりしましたけど
『私もあれがいいな』
と思っているんです

と橋田壽賀子さんは
原節子さんを例にあげています。

 

ハデにやりたい人も

もちろんお葬式や偲ぶ会など
大々的にハデにやりたい
と思っている人もいるでしょう。

いつだったか明石家さんまさんがテレビで
「オレの時はハデにおおげさに
やってほしい」
と言っていました。
そういう方もいるんだなーと思いました。

しかし偲ぶ会などで前方に立ち
涙ながらに弔辞を読む姿は
演技しているように
見えることもあります。

故人に対してよりも
来席者やテレビの向こうの視聴者が
感動できるように、いかに表現するか
と思って引き受けているように
見えてしまう人もいます。

 

死因は発表しなくてもいい

これは私の意見です。

”発表したい人や
発表するのになんの抵抗もない人は
どうぞ発表してください”

と思いますが
伏せておきたい人の情報を
「有名人だから」といって
暴くのはどうでしょうか。

伏せておいた死因を
推測して発表したりするのは
イヤな気分になります。

有賀さつきさんのケースは
故人の意向があったそうで
最初発表されておらず
「マスコミもいいところあるんだな」
と思っていましたら
結果的に発表されてしまい
すごく残念に思いました。

 

 

死ぬまでは元気でいたい

死ぬまではちゃんと生きたい
元気で生きていたい。

そのため人間ドックを年に1度受け
薬も飲み、肉を食べスポーツもする。

まわりに迷惑をかけたくない
とおっしゃる橋田壽賀子さんらしい
考え方ですね。

視聴者としてはそうやって時々
お元気なお姿を見せてくださると
嬉しいものです。

 

眠るように死ねたら

そしてこれは強要しているのではなく
自分はこうしたい
と述べているだけです。

眠るように死ねたら幸せだと思っています。

普通はこのように思いますよね。
臨終ばかりは思うようにいきません。

イヤでも死は訪れますから
スイスには行かないでほしいです。

 

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