追悼・山本文緒エッセイ『そして私は一人になった』抜粋〈他〉
『恋愛中毒』『ブルーもしくはブルー』『あなたには帰る家がある』など、テレビドラマ化された恋愛小説の名手、山本文緒さんの訃報を聞いて驚きと残念な気持ちでいっぱいになりました。
スローペースでいいので本を出し続けていってもらえたら、私の楽しみもずっと続くと思っていたのに、もう限りあるものになってしまった。なんてもったいないことでしょう。
図書館で予約しようと見てみたら、同じ考えの人は多いらしく、訃報直後から山本さんの本はかつてないほど“貸出中”もしくは“予約多数”になっています。
やはり予約が多いのは、新作『ばにらさま』『自転しながら公転する』や直木賞受賞作品『プラナリア』、ドラマ化された『あなたには帰る家がある』などです。
目次
ばにらさま
短編小説がおさめられています。どの小説も面白く読みすすめられました。各小説、この設定で長編でも読みたかったです。
装画のタカノ綾さんは漫画家、イラストレーター、現代美術家でとても人気のある方なのですね。いまどきの絵柄といいますか、強く印象に残る表紙になっています。
本のタイトルになっている『ばにらさま』は、最初に掲載されている短編です。『ばにらさま』って?と引きつけられるタイトルです。
『わたしは大丈夫』は恋人時代と結婚してからの違い。夕食のカレーのためのらっきょう代を請求された恋人に急に”たいそうしらけてしまった”女性。なんのために買いたい物も買わずに節制しているのか。
『20×20』は、晩年長野で暮らしていたという作者の経験談が盛り込まれているのかなと思いながらおもしろく読みました。
最後の短編『子供おばさん』は、疎遠になっていた昔の友人が亡くなり、ゴールデンリトリバー犬と500万円が負担付遺贈されるという驚きのお話です。
そんなに仲良くもなかった友人からの遺言、自分だったらどうするだろう?と考えさせられます。
友人の兄は犬は引き取ってもらいたいけれど500万円は渡したくないといった様子です。主人公は結局お金は受け取らずに犬だけを譲り受けます。しかも犬のために広い住まいに引っ越します。
*********************
訃報をきっかけに思い出した方も多いようですね。
エッセイを読むと体があまり丈夫ではないようでした。ですので、訃報を聞いたときに「やっぱ、そうかー」と思ってしまいました。
再婚生活
鬱の闘病生活を綴ったエッセイ『再婚生活』。
同じ病気を持つ人の励みになることでしょう。
鬱を知らない人が読んでも、その大変さを詳細に知ることができますしおもろく読めます。
結婚願望
エッセイ『結婚願望』
山本さんの結婚に対する価値観全開の独断的内容です。
『恋愛中毒』
人気タレント創路功次郞に見初められた主人公・美雨。お弁当のパートから付き人に転身。しかしとんでもない結末が待っていた。
『眠れるラプンツェル』
15歳年下の13歳の中学生に恋をしてしまう主婦。
童話のラプンツェルは高い塔の中に閉じ込められました。この小説の主人公・汐美もある意味閉じ込められた毎日をすごすのです。
そして思いがけない事件を起こしてしまいます。
以下、『そして私は一人になった』からの抜粋です。
ペンネームの由来
山本文緒さんの本名は“あけみ”さんだということは、訃報のネットニュースでも発表になっていましたが、なぜ“山本”というペンネームにしたのかというと
幼馴染みのゆんちゃん。育った家がすぐ近所で小学校1年から高校3年まで一緒に学校に通った。美人で頭が良くて優しくて誰からも好かれるゆんちゃんに私は今でも憧れている。
ペンネームにゆんちゃんの旧姓の山本を付けたぐらいだから相当なものだ。小学生だった頃ゆんちゃんの将来の夢はお嫁さんだった。当時の私の夢はゆんちゃんの旦那さんになることだった。
読書について
少しずつ少しずつ分厚い本を読み進めていくのは、毎日少しずつセーターを編んでいくような楽しさがある。だいたい月に7~8冊の本を読む。本の世界と関係のない人や特に本好きでない人から見たら多いかもしれないけれど、私が属している世界の中では年間100冊というのは多い方ではない。
でもそれはずっと昔からのことではなくて大人になってからのことだ。今は小説を書くことも読むことも大好きだけれ10代の頃が読書なんかちっとも好きじゃなかった。
いや今思うと本が嫌いだった訳じゃなく若い頃は何を選んだらいいのか全然わからなかったのだ。以前知人がたまには何か本を読もうと思ってもたくさんある本の中でどれを選んだらいいかわからないと言っていた。
まさにそれである。
分からないから例えば本屋の店先に積んであるベストセラーを読む。でもつまらない。
雑誌に紹介されていた本を読んでみる。でもつまらない。
友人が面白かったと勧めてくれた本を読む。でもつまらない。
そうなると本っていうのはつまらないものだという結論が出てしまうことになる。
そこで諦めずになんでもいいから自分が面白そうだと思う本にチャレンジしていくうちに自分にとって面白い本というのが絶対見つかるのだ。
私はそうやっていい歳の大人になってからやっと自分が面白いと思える本に出会うことができた。
一冊見つかればあとはもう簡単である。
同じ作者の本を探したりその作者がすすめる本を読んだり作者が違っても同じジャンルの本を選んだりするとまた好きな作家が見つかる。
小説に限らずノンフィクションや学術書も同じことである。
昔は私も本を読むことを難しく考えていたことがあった。
読書は立派なこと えらいこと勉強なんだと構えていたから行けなかった。
今は私にとって本を読むのは音楽を聴いたり映画を見たりするのと同じである。
文学的価値があろうがなかろうがそんなことはどうでもいいことなのだ。
周りの人が皆つまらないと言っても自分さえ面白ければそれでいい。
自分さえ夢中になれればそれでいいと思っている。
冊数だってそんなに重要なことじゃない。
時々こんなに私は本を読んでいると自慢する人もいるけれど冊数を伸ばすだけなら誰でもやろうと思えばできることだ。
その中で何冊心に響く本があったか一冊でも人生を変えるような本に出会ったのか。
その方がよっぽど重要なことだと思う。
私も何度か読んだ本に人生を変えてもらったし私自身も本を書いて生計を立てている。
読んで書いて、書いては読んでそうやって1日が終わり一週間が終わり月日が過ぎていく。
私も
山本さんの読書観にすごく同意します。
私もすごく読書をするようになったのは、大人になってから。
大人といっても20代はまだ本にハマっていなかった。テレビも本も映画も新聞も見なかったなー。すごく忙しくて。とにかく見ている時間がなかった。
子供の頃も、時間がなかった。
今の小中学校では「読書の時間」を設けている学校もありますが、私の学校ではなかった。
子供の頃の読書習慣って回りの大人によるところが大きいと思います。
親が本を読む人だと子供も「そういうものだ」と思うでしょうし、学校に「読書の時間」があると、イヤでもその時間は本にむかう。イヤだったら意味ないんじゃないの?と思う人もいるかもしれないけれど、私は意味があると思う。
もちろん一番いいのは、自分から求めて本を読むということですけど。
それにしても、残念でたまりません。