林真理子著『8050』タイトルにだまされるな!戦略勝ちのヒット作!
林真理子さんの注目の小説『8050』。評判通りサクサクと読み進められ、一気に読み終わりました。
『8050』とは80代の親が50代の引きこもりの子どもをかかえるという社会問題です。
子どもが働かないで親の年金をたよりに一緒に暮らしていることが大きな問題です。やがて親が高齢で亡くなると子どもが暮らせなくなってしまうという悲劇につながります。
ひきこもりというと小学生、中学生、高校生などの10代のイメージがあります。
10代から引きこもっていた子どもがいつの間にか中年になってしまっていた。実際は中年の引きこもりが10代の引きこもりよりも多かったということでニュースになりました。
目次
戦略勝ち
この小説は林さんが自らテーマを決めて積極的に臨んだというより、出版社の方からのお声がけだった。始めは「こんな重いテーマは書けない」と断っていた。
とのことです。
しかしなんとしてもヒット作を出したい出版社はチーム8050を組みました。なんとか林さんをやる気にさせ執筆を承諾。専門家による勉強会も設けました。林さんの原稿用紙に容赦なく赤ペンが入りました。そして小説『8050』が完成し、ねらいどおり大ヒットとなりました。
出版社側も“林真理子”というネームバリューにのっかって、国民が関心を寄せる社会問題を題材に小説を売れば、当たる!と思ったのだと思います。
『8050』が大きな社会問題だとしても、名前が売れていない小説家が書いてもすぐにはヒットしなかったでしょう。マスメディアにしょっちゅう登場し名前も顔も知れている林さんが書いたからこそ、出版社も売り込みやすく、話題になりやすくヒットにつながったのでしょう。
そういう意味で戦略勝ちだと思います。
それに今後ドラマか映画かなにかしらの映像にもなりそうな感じです。総合的にヒットを狙っていそうですね。
タイトルについて
『8050』というタイトルですが、内容は『5020』です。
50代の親と20代の子供の話です。
このまま放っておいたら『8050』になるという意味を含めて、『8050』というタイトルにしたとのことです。
世の中で話題に挙がっていたのが『8050』なのだから、それでいこうという作戦なのでしょう。
また80代の親と50代の子供の創作は、もっと難しそうです。
書ける人がいましたら、書いてもらいたいものです。
『8050』
あらすじの一部をみても、本当の意味での『8050』には触れていません。
なのでタイトルにダマされた!
と思う人もいるようです。
これも本を売る戦略なのだから仕方がありません。よくあることです。
あらすじ
主人公・大澤正樹は父親の後を継いで歯科医を営んでいる。妻・節子は専業主婦。社会人の娘・由依と7年前の14歳から家に引きこもっている息子・翔太がいる。
由依の結婚がきっかけで翔太をなんとかしようと動き出した正樹。
近所のひきこもりの男性が警察につれて行かれたのを目の当たりにしたのも動機になった。
今頃になってわかったことは、翔太の引きこもりの根本の原因は中学時代のいじめだったということ。
そこで翔太をいじめたクラスメイトに対して裁判を起こすことなった。
セレブ感
主人公・正樹が歯科医で親からの財産も引き継いでいるといったちょっとセレブな設定は林さんの得意分野でしょう。
用務員の益田さんの家に正樹が会いに行くシーン。
駅に着き、バスの時間まで30分もあるとわかってタクシーで行こうかと迷ったときの正樹の心境。
益田さんは停留所の前で待っていると言っていた。
タクシーで行こうかと一瞬迷ったが、彼の厚意に反するような気がした。
何よりもタクシーに乗るなどと言うことをまるで考えない人に対して荒っぽい第一印象を与えることははばかれた。
これがお金持ちの考えなんだと印象に残りました。
正樹はたった30分の時間をわざわざ駅中のカフェで時間をつぶすことになります。
私だったらバス停から駅中へ戻ってまたバス停まで戻ってくる時間、オーダーして飲み物がテーブルに来る時間、飲んでいる時間を考えたら、カフェ代がもったいないと思ってしまいます。慌ただしく飲むことになるでしょうし、どうしても喉が渇いて飲み物が飲みたかったら自販機で買ってベンチで飲むかなと。
歯並び
たとえば由依に関して
口元が綺麗なのは中学校の時に歯列矯正してやったからだ。
など登場人物の印象の描写に口元、特に歯の矯正に触れるのが林さんの小説の特徴。林さん自身が矯正なさっていますし、もっと早い時期に矯正したかったとも言っています。
歯のことは小説やエッセイにしょっちゅう出てきます。
主人公・正樹
結局「こんな親だったから、子どものことをわかってやれなかったんじゃないか」と思ってしまう父親像でした。
すぐ怒鳴る。
自分は正しい。
人の気持ちは二の次。
楽観的に突き進む。
こういう父親像だから、こういうことが起きたと納得させるための人物像だったのでしょうか。
もし思いやりがあり繊細で人の気持ちを汲み取り怒鳴ったりしない父親像だったら、子どもはどうなっていたでしょうか。
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