ドラマ『エリザベート~愛と哀しみの皇妃』あらすじ☆おすすめ♪
大人気ミュージカル
『エリザベート』。
私も大好きな演目です。
『エリザベート』の映画、ドラマはないものか調べてみましたら、日本で今観ることができるドラマがありました。
それが
『エリザベート~愛と哀しみの皇妃』
です。
ディスク2枚組です。
前半は娘ゾフィーを亡くしてしまうところまで。
後半で一生を描くのかと思いきや、息子ルドルフの自殺さえ描かずにハッピーエンドで終了しています。ルドルフが軍隊学校でひどい仕打ちを受けているところには乗り込んで救います。
前半はミュージカルの内容とほぼ同じように進みます。
まるで合わせたかのように。
ミュージカルをこれから初めて観る人にはとてもいいですね♪
また観たけれどもう少し詳しく内容を知りたいという人にも良いです。
もちろん、ミュージカルは何度も観ている人もまた感動を深まります!
お薦めです★
目次
全体的に好意的
内容は全体的にエリザベートに対し好意的です。
浪費家だったり、勝手気ままだったりといったエリザベート像を封印して、しきたりの多い王家で奮闘する姿を描いています。
民衆がミルクを買えないでいるのに自分はミルク風呂に入っているとか、スイスの銀行に隠し口座をもっていたとか
最後まで夫フランツと不和だったとか、ルドルフが自殺をしたとか、エリザベート自身が暗殺されるとか
そういったマイナス面はなしです。
お見合い
エリザベートは
1837年バイエルン王国首都ミュンヘンに生まれた。
(1918年にバイエルン王国は消滅。ドイツの州となる)
父親は王家支族のバイエルン公マクシミリアン(マックス公爵)。
母親はバイエルン王女・ルドヴィカ。
父親のマックス侯爵は遺産を継いで金銭的に余裕があった。そのため仕事に縛られることなく自由にやりたいことをやって暮らしていた。それを目の当たりにしていたシシィは父親のように自由に暮らすことが当たり前だと思っていたに違いない。後に当たり前ではないことを身にしみ父親の生き方は憧れとなる。
一方母親のルドヴィカは4歳から宮廷での礼儀作法を身につけさせられるなどの教育を受けていた。
そのため子供達のしつけはしっかりと行ない将来も真剣に考えていた。
甥のオーストリア皇帝・フランツヨーゼフ1世が 結婚相手を探していると聞くと自分の娘を結婚相手にと考えた。
ちょうど年頃の娘は19歳のヘレーネだった。
フランツは23歳。
ルドヴィカは姉でありフランツの母親のゾフィーに相談しヘレーネを花嫁候補に入れてもらう。
お見合いのためバート・イシュルへ向かう一行。マックス侯爵は見合いにはつき沿わなかった。その代わりにシシィが同行させられた。この時シシィ15歳。
何のためにシシィを同行させたのか。ルドヴィカはフランツがヘレーネを気に入らなかった時のための保険として連れて行った可能性もある。花嫁候補が何人もいたようだからだ。我が娘の中から一人でも多くエントリーしておきたいと思ったのではないだろうか。
娘はあと3人いたが12歳、10歳、6歳であるため適齢期とは言えない。
結果フランツはヘレーネではなくシシィを気に入った。
傷ついたヘレーネは気の毒に思うけれども母親としてみればどちらも我が娘。結果オーライと思ったことだろう。
ドラマあらすじ
シシィは馬で草原を駆け、のびのびと自由を謳歌している。
母親のルドヴィカが
「早く支度仕度をしなさい」
とシシィを叱る。
気がのらず仕方なく支度をするシシィ。
ヘレーネのお見合いに同行するように言われているのだ。
父親のマックスは同行しない。
馬車に揺られてようやくバート・イシュルに到着するとシシィは頭痛がするからといってベッドに横たわる。シシィを置いてヘレーネはフランツと対面する。遅れてシシィ登場。
フランツはあからさまにシシィを凝視する。一目惚れしたようだ。
その日の夜、寝付けないシシィはひとり外へ散歩に出る。フランツは窓からシシィを見かけ下りていいった。
シシィをくどくフランツ。
しかし
「姉がいるから」
とそっけない態度をするシシィ。
翌日フランツは
「結婚するならシシィと」
と宣言する。
ヒステリーを起こすヘレーネ。
1853年フランツは暗殺者に襲われる。
ハンガリーテロリストに。
駆けつけるシシィ。
何とか一命を取り留めたフランツ。
1854年4月
シシィはフランツと結婚。オーストリア皇后となった。
新婚初夜。自分たちの部屋のすぐ隣に義母が待機しているというしきたりに窮屈な思いをしたシシィはフランツを外へと連れ出す。二人きりでロマンチックに過ごす。
姑のゾフィーは早速シシィに付添人を付けた。24時間ずっと付き添って何かあったら報告するように命じる。
ハンガリー貴族ジュラ・アンドラーシ伯爵は逃亡者だった。国王の意見に反対し国を追われていた。
しかしシシィがオーストリア皇后になったことで好転するのではと希望を持ってシシィに近づいてハンガリーとの友好を訴えた。
1815年のウィーン会議の結果、北イタリアのロンバルディアとヴェネトはオーストリア帝国に帰属することになった。しかし現地ではオーストリアからの独立運動が盛んに行われていた。
1855年
長女ゾフィーが誕生した。しかし姑とゾフィーが王宮のしきたりだと言ってシシィからゾフィーを引き取った。子供を育てる皇后はいないと言って。シシィはこの手で育てたいと必死に訴えるも聞いてもらえなかった。
このことが大きく溝を深める。
1856年
フランツはシシィを伴って北イタリアへ巡行した。口出ししそうになるシシィに対しフランツは「君はいつでも後ろ姿にいればいい」とたしなめる。
シシィは
「わかっているわ。でもあやつり人形じゃないわ」
と自分の意思をしっかりと持つ 。
シシィに次女ディーゼルが生まれた。
政治犯に恩赦が与えられた。
アンドラーシュ伯爵も恩赦を受け祖国ハンガリーに戻った。
シシィはフランツに同行して娘を連れハンガリーを訪問した。
シシィの人気は高かった。満足していたシシィに思わぬ知らせが入った。
娘ゾフィーが急病だという。
駆けつけて看病した甲斐もなくゾフィーは命を落とす。
ドラマでは急性肺炎ということになっているが、史実ではチフスではないかとも言われている。
姑ゾフィーはシシィに対して
「あなたのせいよ。あなたが悪いのよ」
と責める。
悲しみにくれるシシィ。
声優キャスト
エリザベート:
瀬奈じゅん
フランツ:
石川禅
マクシミリアン:
岸祐二
海外TVドラマ
『エリザベート~愛と哀しみの皇妃』
製作年:2009年
製作国:イタリア/ドイツ/オーストリア
原題: SISI