映画『おらおらでひとりいぐも』芥川賞受賞作・注目の映画化!
映画の原作本『おらおらでひとりいぐも』は作者・若竹千佐子さんが芥川賞を史上2番目の高齢受賞となったことで話題になりました。
そしてタイトル『おらおらでひとりいぐも』も方言でめずらしいということで、タイトルに惹かれて本を読もうとした方も多かったようです。
自分のことを「おら」と言うのは全国的な方言ですが、作者の若竹さんが岩手県出身だと聞いて「なるほど」と思いました。
東北弁で言うと「私は私で一人で行くよ」といった意味かと思います。
が、別の意味も考えられます。
“おらおらで”のもうひとつの意味
“おらおら”とは
ヤンチャな人が、脅しのような言葉を発したり、デカイ態度で周りを威嚇したりするときに使われます。
なので
「“おらおら”といった態度で、ひとり通るよ」
とも考えました。
なんてことを深く考える人はあまりいないかもしれないですけど。
主なキャスト
原作『おらおらでひとりいぐも』をどうやって映画にするんだろう
と興味がわきました。
しかも主演は
名女優・田中裕子さん。
脇を固めるのは
演技派の
蒼井優さん
濱田岳さん
鷲尾真知子さん
個性派の
青木宗高さん
六角精児さん
話題性では
宮藤官九郎さん
東出昌大さん
など。
原作
主人公は74歳の桃子さん。
子どもは自立していて滅多に実家にこない。
仲の良かった夫を心筋梗塞で急に亡くししまう。
胸の内を語る、基本的にひとりごと。
子どもの頃、夫と出会った頃も思い出す。
といった内容です。
ひとりごとで1冊構成するとは、すごい力量ではないでしょうか。
しかもその心境には変化、成長がみられます。
また年を重ねた人でなければ語れない、気づけない道理も語られ、ハッとさせられます。
原作に忠実なことをあまり求められないといった点では、自由な演出で表現できそうです。
原作通りに作ったら、おもしろくないでしょうね。
原作はストーリー展開があまりないからです。
原作のおもしろさは
・方言で表現していること
・主人公の微妙な心の変化
なので映像にして、おもしろい!と思わせる作品にするには難しいのかな~と思います。
そこはチャレンジャーでしたね!
年を重ねた人
世の中の若者は年を重ねた人をバカにする傾向があります。
「それって古いよ~」と。
しかし逆もあります。
「こんなこと、知らないでしょう。まだ生まれていないものね」と。
原作文中に
『あの頃の桃子さんは自分の老いを想像したことがあっただろうか。ましてや、独り老いるなどということを一度たりとも考えたことがあっただろうか』
とあります。
その年齢に達しないと分からないことが多々あります。
特に自分が年老いたことを想像しながら生きている若者はあまりいないでしょう。
太宰治と宮沢賢治
私は
太宰治の『トカトントン』を思い出しました。
ずっと苦しい胸の内を独り言で告白している。
「教えてください、このトカトントンというのはなんでしょう。この音からのがれるには、どうしたらいいのでしょう」と。
『トカトントン』の主人公の語りが
『おらおらでひとりいぐも』の桃子さんの
「寂しい、寂しい、寂しい。どうしたらいいのでしょう、これから私」
といった内容に重なるように感じました。
また宮沢賢治の
詩『永訣の朝』の
“あめゆじゅとてちてけんじゃ”
も思い出しました。
小学生の頃に初めて習ったと思いますが、意味がよくわからず大いに悩みました。
先生もちゃんと解説しませんでした。
桃子さんの夫の死への心の声、
「てへんだあなじょにすべがあぶぶぶぶぶっぶぶぶ」
といったところは特に。
『おらおらでひとりいぐも』もとても読みづらかったです。
東北出身の私でもつっかえつっかえ、途中戻ったり繰り返して読んでみたりして、なんとか「こんなことかな」と理解して読み進めましたので、東北以外の人は大変だったのではないかと推測します。
もしこれが、他の地方の方言で書かれていたら、私は挫折していたでしょう。
ただ、年老いて仲の良かった伴侶を亡くした方の心境は痛いほど伝わってきました。
どうやって乗り越えるのか
ここが肝なのでしょう。
私の母も父を突然亡くしました。その悲しみを乗り越えるのは相当大変でした。
そのことも思い出しました。
原作内容
桃子さんは40年来住み慣れた都市近郊の新興住宅でひとり茶をすすっていると、カシャカシャカシャとねずみが動いている音が聞こえてきた。
それはやがてジャスセッションのように聞こえてきた。
オラダバオメダ、オメダバオラダ
改めて桃子さんは考える。
今頃になっていったいなぜ東北弁なんだろう。
なぜ東北弁でものを考えているんだろうと。
桃子さんには息子と娘がいた。
娘の直美は車で20分のところに住んでいるがいつの間にか疎遠になっていた。それがほんの二ヶ月前に孫娘のさやかを連れて訪ねてきた。
それからは野菜や米など足りないものを買ってきてくれるようになった。
なんてやさしんだべ、おらは母ちゃんにこれほどの言葉をかけだごとあったべかぁ。
と自分が娘だった時代と比べる桃子さん。
ある日「急で悪いんだけどお金貸してくれない」と直美に言われた。
すぐに答えられずにいると
「なによ。お兄ちゃんだったらすぐに貸してあげる癖に」
と言われた。
「母さんはお兄ちゃんばかりをかわいがる」
それが直美の本当の不満だったことに気づく。
だいたい、いつからいつまで親なんだか、子なんだか。
親子といえば手を繋ぐ親子を想像するけれど、ほんとは子が成人してからのほうがずっと長い。そんなに長いんだったら、いつまでも親だの子だのにこだわらない。ある一時期を共に過ごして、やがて右と左に分かれていく。それでいんだと思う。
8月の終わり、桃子さんは病院の待合室にいた。手っ取り早く人が大勢いる場所と考えて病院に来た。ついでに診察もしてもらおうという算段で。
そのうち高校を出たての小娘の頃、東京からの帰りの夜行列車の車内での出来事を思い出す。
昼過ぎに診察を終えると、いつも行く喫茶店のいつもの席でソーダ水をオーダーする。
夫と出会った頃を思い出す。
人は独り生きていくのが基本なのだと思う。そこに緩く繋がる人間関係があればいい。
ある朝、桃子さんはもう一滴だって眠れやしないのに、どうせ起きても何もすることがないんだし、おなじことの繰り返しだし、目覚めると愚痴ばかりだしと布団の中でぐずぐずしていた。
そのとき「おんで、おんでよ」という声を聞いて反射的に飛び起きた。
そうだ、おらに必要なのはこの目的だ
と70歳を超えた人とは思えない身のこなしで身支度をすませ出かけた。
亭主が死んで初めて、目に見えない世界があってほしいという切実が生まれた。なんとかしてその世界に分け入りたいという欲望が生じた。
おらの思ってもみながった世界がある。
そごさ、行ってみって。
おら、いぐも。
おらおらで、ひとりいぐも。
おらはおらに従う。
どう考えてももう今までの自分ではいられない。
自分の幼いときのことを思い出す。にぎやかだった故郷の家。
周造(夫)の死に一点の喜びがあった。
おらは独りで生きでみたがったのす。思い通りに我の力で生きでみたがった。
周造はおらを独り生がせるために死んだ。はからいなんだ。それが周造の死を受け入れるためにおらが見つけた、意味だのす。
桃子さんはひとりで自由に生きてみたいという気持ちもあった。それを叶えてくれたんだ、と思うことで悲しみを乗り越えようとした。
桃子さんはやっと周造さんの墓にたどり着きお弁当を広げて食べた。
半分ひしゃげた真っ赤なカラスウリ見つける。
おらはこれからの人だ。まだ終わっていないと思い直す。
3月3日の昼下がり、孫娘が家にひとりでやってきた。
映画感想
桃子さんの心の内を
青木宗高さん
宮藤官九郎さん
東出昌大さん
の3人トリオで表現するというおもしろい発想でした。
朝目覚めるともう一人の桃子さんが
六角精児さん
となって布団の上で、いろんなことを言ってきます。
桃子さんが若かった頃は
蒼井優さん
夫を東出昌大さんが演じます。
桃子さんが好きな恐竜時代もCGアニメーションとして表現されています。
いろいろ工夫をした演出でした。
まだまだそんなお年でもないのに、ご年配の方の体の動きなど、さすがの演技の田中裕子さんでした。
映画
『おらおらでひとりいぐも』
2020年11月6日公開
|
『モリのいる場所』
2018年公開
監督・脚本
沖田修一 を
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